ガンバって何?

楽器説明

ヴィオラ・ダ・ガンバとは?

 
■ ヴィオラ・ダ・ガンバの名称の由来、サイズ、構え方、形
M. Praetorius: Syntagma Musicum ヴァイオル(英)、ヴィオール(仏)とも呼ばれる脚に構える弓奏擦弦楽器です。ガンバとはイタリア語で「脚」を意味します。(サッカーのチームにもありますね、あちらは「脚」と「がんばる」をかけたそうですが。)ヴァイオリンのファミリーはヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕のヴィオル)属です。チェロはブラッチョ属ですが、大きすぎて肩にのせられないのでしょう。
 楽器の大きさは出せる音の高さと対応していますが、小型のトレブル・ガンバ(高音部)、中型のテノール・ガンバ(中音部)、大型のバス・ガンバ(低音部)の3種のサイズが最もよく使われていて、人の声に対応しています。楽器の大小に関わらず膝または脚に挟んで構え、弓はお箸やスプーンのようにアンダーハンドに持って演奏します。
 外見は、ヴァイオリン属と比べて、弓で弦を擦った時に胴体に触れないように胴の中ほどがC字型にくびれているのは同じなのですが、肩はいかり肩ではなくなで肩で、厚みがあります。裏板は平らで、響孔は原則的にはC字です。ネックにガット弦で7つのフレットを半音間隔に結びつけます。弦の数は通常6本で、フランスでは7本が好まれました。


■ ガンバの歴史
Barak Norman イタリアの15世紀末頃に、今日に通ずる形の楽器が登場しました。ルネサンス、バロック時代にはもっとも普及した楽器の一つとなり、王侯貴族のたしなみとして、また教会などで18世紀中ごろまで盛んに演奏されました。ルネサンス時代の同種の楽器だけの合奏、ガンバ・コンソートは、一体感のある響きが特徴です。一方、混合した響きを楽しむ、リコーダーやリュートなど色々な種類の楽器との合奏にもガンバは加わっていました。バロック様式では独奏楽器としてはもちろん、伴奏楽器としてもチェンバロやテオルボなどと共に、通奏低音楽器として欠かせない楽器でした。 ガンバが貴族の楽器であるとの根拠となっているのが、バルダッサーレ・カスティリョーネが1528年に出版した著書《カスティリオーネ宮廷人》(1987 東海大学古典叢書)です。16世紀初期の宮廷生活を生き生きと描写し、リュート伴奏による朗唱を讃えた後に、ガンバ・コンソートについて、「四本のヴィオラ・ダ・ガンバもその技巧性と甘美さゆえに捨てがたい味わいを持っております」と記述しています。 17世紀フランスでヴァイオリンとの性格のちがいをジャン・ルソーは、1687年に出版した《ヴィオル概論》(共訳:関根敏子、神戸愉樹美1988 アカデミア・ミュージック株)に、「ヴァイオリンは人を活気づけ、ヴィオルは人の心を落ち着かせる(意訳)」と述べています。 18世紀後半に貴族社会が没落し、多くの市民が音楽を聴くようになり、構造的に大きな音がでないガンバが次第に使われなくなると、ル・ブランは、1740年《バス・ヴィオル擁護論》を出版し、社会制度の変化、聴衆の嗜好の変化、楽器能力のちがいを説明し、演奏テクニックの発展等の視点から擁護しました。そして、ガンバはロマン派時代には使われませんでしたが、19世紀の後半からの古楽復興の流れが今日につながっています。
(ニューグローヴ世界音楽大事典–神戸愉樹美、関根敏子訳–より一部引用)
 
 日本には1561~62年にポルトガル宣教師A.サンチェスが、複数のヴィオラ・ダ・ガンバviolas de arcoを大分県にもたらしました。ミサの補助としてオルガンの代わりに使いました。サンチェスはセミナリオの子供たちに教え、クリスマス、復活祭にも使った記述が残っています。大友宗麟(1562年)、織田信長(1581年)、豊臣秀吉(1591年)、豊臣秀頼(1607年)も耳にしました。